大黒天神法を修法。
GWの後半は、快晴続きデス❗😂
観光地はどこも大混雑のようですが、インバウンド需要の盛り上がりが、コロナ禍で思うに任せなかった時期に直面した業界の方々にとっての追い風になったのではないでしょうか。
是非とも「取り返して下さいね❗」🙂
大黒天神法の修行もいよいよ後半戦に突入しております。今のところ大過なく過ごせているのも、大黒さまの功徳に相違ありません。
引き続き至心にご供養させていただき、その大いなる利生が有縁の方々に回向されるよう精進していく所存です。
昨日は日本橋に映画を観に行きました。「陰陽師ゼロ」でございます。何と言っても画像がきれいでした。。😊
尤も、内容が呪術宗教の世界を描くものでもあるので、「付いていけないよ」と感じる人も多数いらっしゃるかも知れません。実際、周囲を見渡すと、若い人が多かったような印象です。
それでも日常を離れ、「怨霊と祟り」の世界を覗いて見るのも、たまには宜しいのではないかと。。(笑)
★ 2つありました。
一つ目は「女御の衣装」です。朱の袴を地肌に着装し、唐衣(?)の下で肩を出す装束にしていることです。うちの華道部長に確認したのですが、「確かにあり得ないと思うけど、これは妖かしの物語らしくするための演出ではないかと思う」とのことでした。
実際、チョッとドキッとしましたね。「あの時代の女御たちは、この格好はしてないと思うけどなあ」と。まあ、「内裏でこの恰好をした巫女が、憑依されて踊り狂っている絵を何かで見たかも…」だったので。
二つ目は若き安倍晴明のセリフです。
「事実と真実は違う」です。特に後者の「真実」の方は「本人の主観が入る」という「注釈が付く」としたところです。
これは、平安時代は「怨霊と祟り」がナラティブとしてあり、これが特に貴顕社会のベースにあることで「ご祈祷が効く」に通じると思いました。
ナラティブはストーリーと違って、「本人が主人公(だけ)の物語」ですから、その人が真実だと思っている間は「どこまでも真実」です。
一方、ストーリーは主人公もいるけど、脇役もいるので、立場の違う人の視点によって風景の展開が変わってしまいます。それゆえ「事実」がとても大切になってきます。(「ありのまま自らの心を知る」ということでしょうか)
若き日の安倍晴明にそれを言わせたことで、この私にだけかも知れませんが😅「呪術が呪術として成立し得る」ことが伝わってきて良かったと思いました。
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大般若経理趣分のお経カバーを修理しました。神代植物公園内の売店で購入した(細かい花柄の)マスキングテープで補強したら、思いのほか好い感じになりました❗😊
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「南無摩訶伽羅大黒天神」
「南無大師遍照金剛」
合掌