孔雀経法を結願しました。
鎮護国家の秘法は、単に自国のためにするのではなく「一天四海」「泰平無事」「護持大衆」「諸願円満」を広くお祈りするものです。
実際、私如きの若輩がひとり力んでみたところで、どうなるものではありません。ですが、当たり前の日常を奪われることの辛さに心を寄せることくらいはしたいーー、そのように考えております。
本山では一昨日2/23、七日間(計21座)に渡る前行の結願を受け、五大力尊仁王会法要(五大力さん)が厳修されました。
昨夜帰宅すると、「五大力尊御影」と「護摩札」が到着していましたので、早速、自坊所定の浄所にお祀り致しました。来週は前回と同じく、仁王経法を修行して、その「五大力尊御影」を希望される有縁の方にお分けする予定です。
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慈悲はおめでたい博愛主義ではない。それはもっとも厳しい批判的精神と激しい怒りと限りない悲しみのこころを宿しているものなのである。
(中略)
自分に引き比べ、殺される身となってみよ。この根源的な生命愛が仏教の反戦平和の根本理念なのであり、実践行動のすべてでなければならない。そして、今日、それこそが国家、社会、民族、人種などのすべての差別を越えて、人類ひとりひとりの者に切実に要請されているのである。
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上記は1970年に、若き日の智山能化/故宮坂猊下が書かれました。その小論からの抜粋です。ベトナム戦争下の南ベトナム・ソンミ村における非戦闘員の集団殺戮が、米国「タイム」誌によって報道されたことを受けての内容です。
この21世紀にはあり得ないだろうと思っていたことが、今回「も」起きたことが分かっています。もうこんな(残虐な)ことは、20世紀の半ばで終わったはずだと思っていたのに。(東大先端研:小泉悠氏)
今の自分に出来ることは、無論限られています。ですが、平和を願って鎮護国家の秘法を修行されている方は、他にも多くおられると確信しています。私は、ひとりひとりの祈りが集まれば、必ず解決への道が開かれる、そのように思っているのです。これからも日々精進していく所存です。
「南無三世仏母大孔雀明王」
「南無大師遍照金剛」
合掌